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慢性的なロウポイント
今思うと日本にいたときは精神的に安定していたんだと実感できる
常に良い情報に触れ
また常に自分が発信したりメッセージする立場にあり
さらには刺激しあえる人たちが周りにいた
当たり前だと思っていたし
まだまだこんなもんじゃないと
上を見ていたけれど
いかにその状態がよかったのか離れてみて実感できることもある
沢木耕太郎だったから誰かが言っていたけれど
旅というのは人を丸裸にしてしまう
その人そのものが出すぎてしまう
というようなことを言っていた
確かにそうだと思う
いろいろな無駄なもの
余分なもの
見せかけのもの
二次的なもの
そういったものがどんどん削られていき
結局そのままのその人が残ってしまう
そういう点では
オレはオレの思っている以上に
ネガティブな面が強いし
不平不満、他責、被害者意識
といった弱い面をたくさんもっているようだ
時系列をさかのぼって考えると
確かにもともとそういうところが多かったように思うし
自分でも自覚していた覚えがある
ただ
当時はそういったことに対してそれほど深く考えていなかったし
逆にそういった負の感情をプラスに転化できるような熱もあったように思う
そして
意識し始めてからは
なるべく良い情報に触れるようにし
環境を操作し整えていくことで
自分自身を仕立ててていった
いつしかそれが普通だと思うようになったし
そう周りからも思われていたように思う
ただ
海外にでること
旅にでることで
それらのメッキがどんどんはがれていき
長い長いロウポイントへと突入していった
丸裸になった自分はそんなもんだ
ということを認められないまま
理想と現実とのギャップを埋める戦略もなく
ただときだけが流れていくことを眺めていたけれど
旅も再開したこのタイミングで自分を立て直していこうと思っていた
なにかきっかけが欲しかったというのもあったし
でも実際旅を再開してみたらヒドイもんだった
気がつくと不平不満
愚痴や文句や怒りばっかり
思い通りにいかないことにイライラしたり
物事の悪い側面ばっかり見たり
気がつくといつの間にかそういう思考に支配されていて
気がつくとこんなことを言いたくないのにもらしてしまっている
元からの性質というのは変えられないのか
所詮ある条件の下でしか装うことはできないのか
でも
根本的な考えとして
後天的に得られる性質や特性というのは
誰でも学ぶことで得られる、または変えることができる
という意見は理にかなっていると思う
だから
今自分が持っているこういったネガティブな面も変えられるはずだと思う
ある一定の期間はそういった手ごたえを感じていたわけだし
そういう葛藤を抱えながらの旅をして3週間ほどたって
少し光が見えてきた
明けない夜はないし
結局は夜明け前が一番暗かったとあとで思えるようになるのかもしれない
闇の中
この道でいいのか
この方向でいいのか
これでいいのだろうか
迷いながらも動き、もがく、歩む
そしていつか光が射したとき
進んだ道のりが自分の進歩
あまり目のことにとらわれすぎると
進んだかどうかわからない
でも
その見えない中
一日の歩を進め続けたとき
時の蓄積は光となって歩みを照らす
歩みは光によって進歩となる
決して無駄にはならないであろう目の前の営みを大切に
そこに成長があるはず
何もしなければ夜が明けても進歩はない
久しぶりに
文字通り夜が明けるのが楽しみだったワルシャワの夜
ベッドの中で走り書きしたメモより
aikawarazu kakkoiine
詩人かって思ったぐらい。
ぜひ旅の素晴らしさを
しょうごの伝え方で
本に書いてほしいと切実に願うよ☆
かずやさんですか?
ありがとうございます!
このたびのことは本にはしたいですね!
どんな形にしても。
もっとよい言葉に出会えるように学んでいきます!!
kazuyaさんの温かい笑顔は
いまでも心に残ってます。
byあおと
(ごめんよ、騙すつもりじゃぁなかったんだぜブラザー)
>あおと
あおとだったか!!
たしかにいわれてみればあおとのコメントな気がするわ!
ありがとう!