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2つの力


旅の本質であるバスでの移動中
ずっと疑問に思っていたことが自分なりに解決できたように思う



どんな疑問かというと一言では表現しづらい



今あるものに感謝することと
それ以上追い求めることの間にあるもの



といってもなんかしっくりこない


結果と過程の間にあるもの


といったほうがいいかもしれない


満足することと求めること
取りに行く力と受け取る力
この2つの力の間にあるものがずっと疑問だった




たとえば自分が90点を目指していたとして努力する

その結果80点だったとしたときにどうするかということ


くそー!!ってなって
すごいネガティブなことが出てくるかもしれない
真剣であればあるほど
何でこんな結果なんだ!って悔しいだろうし
後悔や落胆や怒りなどの否定的な感情がでてきてもおかしくない


でも別の人は
自分の思い通りの結果は出なかったけど
十分頑張ったんだ
それが今の実力なんだ
それはそれでいいじゃないか
この結果をしっかり受け止めよう

ってなるかもしれない


この場合後者の人のほうが否定的な感情をもっていないし
どっちが幸せかっていったら後者のほうだろう


でも
こだわりが強いのは前者のほう
真剣にやっているのも前者のほうだと思う


この場合次があればいいんだけど
人生
次がそうそうないことだってある
これをミスったらもう首吊るしかないな
みたいな状況だってあるかもしれない



んで
そうやって真剣に物事に取り組んでいときに
その結果を素直に受け入れられるかどうかっていう問題

俺の性格なのかもしれないけど
これはなんとしても達成したいってやっていって
その結果できなかったときってやっぱすぐにはそれを受け入れられない
でも頭では
結果っていうのは自然の摂理の上になりたっているんだし
過程は選択できるけど結果は選べないのだから
受け入れてしまったほうが賢いということもわかる



俺が疑問だったのは
結果を受け入れる、満足する、感謝するらする


ということと

結果を求めるための過程において努力をする


ということがなんか相反することに思えてしまったから


どんな結果でも満足して感謝できるなら
もうなんでもあり
みたいになっちゃうんじゃないかって


やる前から自分の望んだ通りの結果にならなくても
満足できてしまうんだから
そんなの望んでいることと言えるんだろうかって


でも
結果に満足できないんだったら
やっぱり不幸になっていくのは自分であったりする


そしたら
求めていく過程は何のためにあるんだろう



本田健氏は著書の中でこう表現していた
「稼ぐ力」と「満足する力」
これはお金に焦点を当てている話だけど
俺が思うのはこのポイントだしすごく分かりやすい


どんなに稼ぐ力があっても幸せにはならないらしい
どんなに億万長者でも金銭的不安を抱えている人も多いらしい

逆に
貧乏でも今の生活に満足している人だっているだろうし
でも
この人は残念ながらいつまでたっても貧乏なまま


だから
幸福かつお金持ちになるには

稼ぐ力と満足する力の両方が大切だと





これはお金だけじゃないと思う


いきていくうえで


もっと成長したい、向上したい、夢をかなえたい
っていう思いと
今あるもの、人、すべてのことに感謝する
という2つはどちらか一方ではなくて両方大切なんだろう


成長する
目標を達成する
夢をかなえる

そして
その結果に満足する

でも
満足しっぱなしでいいかっというとそうじゃなくて

やっぱり
もっともっとって上を見ていきたくなる


キリがない気もする
ある程度
そこそこほどほどで満足する

そういう人生でもいいかなと実際思ったりもする
いやむしろ
そういう生き方の中に幸せがあるんじゃないかとすら思ったりもする



ここにパラドックスがあるように思う


そこそこほどほどでいるためにすら
常に求めることが必要であり
求めた結果に満足することが必要であるということ



結果に満足しながらも求めること

青木社長が言うように
「それ以上を必要とせずそれ以上を求めること」


この精神が常に必要なんじゃないか



ただ単に満足するだけ
受け取る力だけが発達してもただの貧乏な自己満足になっちゃう
なんでもありになってしまったら過程を求める動機付けができない

取りに行く力
求めることだけで満足することができなかったら
一生不幸だしなんのために求めているのかわからないくなってしまう



じゃあ
どうすればいいんだろう
時には不満も必要だと思うけど
そのコントロールが難しい


旅もそうだけど

自分が楽しみにしていた場所にいったときにあいにくの天気だっとする
日程の都合上もうその日しかない

快晴を期待していればいるほど
その場所を楽しみにしてればいるほどがっかりするし
簡単には
「まあこれてよかった」って思いたくないし
「また来ればいいよ」って励ましたくなるけど
現実問題としてまた来ないし!って思ってしまう


(まあ
 ちょっと小さなことではあるけれど
 結局こういうことの積み重ねだから)




じゃあどうすりゃいいんだろう
取りに行きつつ結果を受け止めつつって
なんかすごく難しい




んで
そういうことを考えてたら
「あ、そうか、そういうことか」って思った











どういうことかっていうと











今自分でも思ったとおり
難しいっていうこと




簡単じゃないってこと




こうすればいいっていうことがないってこと






受け取ることと取りにいくこと
その間にあるバランス


それは危うい天秤になってる


どちらかに大きく振れてしまう可能性を秘めていて
バランスがとれたそばからまたバランスが崩れる
そして
またバランスをとる





バランスが常に崩れるということ
安定は長続きしないということを受け入れること


そのバランスを保とうとし続けること


受け取るだけじゃなく求めるだけじゃなく
バランスをとり続けること


そこに一生葛藤し続けること
その覚悟の問題なんじゃないだろうか




そんなことをふと思いついて
疑問が晴れたような気がした





安定した天秤は
またこの先バランスを崩すだろうけど

この先
また同じようにどこかの国を移動するバスのなか
均衡を保つアイデアが頭に浮かんでいくんだろう



求めて得られて満足して均衡
疑問をもち、もがいて、また求めて不均衡


そんなことをこの先ずっと続ける旅になるんだろうな

旅の本質2



前に旅の本質は移動にあるんじゃないかということを書いた


それと似たようなことだけど
もう1つ実はここにも大切なたびのエッセンスが凝縮されてるんじゃないか
って思うものが1つある





それは「待ち時間」




旅をしているとホントに待ち時間が多い


貧乏旅行をしているということと
心配性な性格だからっていうことがあって
この1ヶ月半で10日くらいは待ち時間に使ってるんじゃないかってくらい
何かを待っている時間がながい



何かって
まあそのほとんどは交通手段なんだけど


バスや電車や飛行機
それらを待っている時間がすごくすごく長い

これらも含めて移動としてしまえば
俺の持論からいくとそこも以前書いたような本質に含まれてしまうんだけど
あえて切り離して考えると
この待ち時間にも本質が潜んでいるように思う



どうやって待ち時間が発生するかはケースバイケースだし
考え方次第のところも多くあるんだけど


旅費を抑えたいから夜行バスを使おうってときには
長い長い待ち時間を覚悟する


夜行バスっていうからには夜出るわけで
時間はまちまちだけど
モルドバからルーマニアへのバスだと夜8時だったし
一番最近だと
マケドニアからセルビアへは夜11時半だった


んで
この場合
大体宿を11時とか12時にチェックアウトしなきゃいけないから
そっから何しようってなる


まる1日あるわけだから
観光したりすればいいんだけど
あらかじめ予定を組んでない場合
現地にいっていろいろしてから
結果的に次に場所へ行くのに夜行バスだった
っていう場合が多いから
最終日
つまり夜行バスに乗る日までに
大体市内だったり観光スポットは歩き回っちゃってることがおおい

もちろん2回行ってもいいし
ちょっと足を伸ばして少し離れたところにいって日帰りで帰ってきてもいいし

いろいろとやることをやってればいいんだけど

俺の場合
もうみたものをもう1回見るために歩き回るのとかはだるいなって思ってしまう
自分の気に入った場所や
歩いてて気持ちいい場所があれば別だけど

少し離れた別のところにっていうのもそんな気が起きたことがない
無理に色々見ようとしなくていいと思ってるし
費用抑えようとして夜行にした意味がなくなる


どっかにカフェにいったとしてもせいぜい1時間くらいだし
そんないくつもいくつもカフェに行くわけにもいかない


大体はチェックアウトしたあとも
宿の共有スペースに居座ることが多いけど
場所によってはちょっときまづいこともあってなかなか落ち着かない


あったかければ公園のベンチでボーっとしたりっていうのも良いんだろうけど
この天候だけどそんなことしてたら風邪引いちゃう
ウクライナだったら凍死しちゃってるかもしれない



まあ
色々な手段で粘って
バスターミナルいって
またそこでも2時間とか待つ
1時間の待ち時間なんて短いほう


場合によっては夜行にのって朝ついたはいいけど
4時とか5時とかの場合があるから
街が動き出すまでターミナルで待ってたり
宿のチェックイン待ちをしたりと


とにかく待つ時間は長い



お昼のバスだって
たとえばいったことがないターミナルからのバスに乗るんだったら
乗り遅れたらいやだし
それが歩いていけない距離
たとえばバスとトラムを乗り継ぐとか

そういう場合は
大体インフォで何分くらいかかるか聞いて目安にするけど
いつも正しいとは限らないし
乗り継ぎがうまくいくかもわからない
それに
たまにおきるんだけど
間違ったものにのってしまったり
逆にいってしまったり
工事によって路線が変わってたり
降りる場所がわからなくて
早めに降りちゃったり
乗り越しちゃったり


いろんな可能性がある

これはもう原理原則といってもいいくらいの法則だけど
時間がないとき
急いでいるときこそ

そんなことあるの!?っていうことが起きたりするものだし




んで
早めにいくと
今度は逆にスムースに事が運んで
思ったより早くターミナルについて
そこで1時間待ちとか





こういう具合に
とにかく待ち時間がたくさんある



気分的にも乗りたかったバスや電車を逃してしまったり
遅れそうになってあせったりするよりは
余裕をもって先に到着してるほうがいいから
其れでいいと思ってるし

別に待ち時間が多いからイヤだっていう否定的な考えを持ってるわけじゃない


日本みたいに勝手がわかってて
情報もしっかりしてて
ほぼすべての交通機関が定刻どおりに運行されてて
東京の電車みたいに
さっき行ったばっかやん!ってくらいの頻度で電車がくるんなら
そんなことまったくする必要ないし
実際住んでたとき10分待ちですら
うわ、マジかよって思うくらいだったし




んで
俺が思うに旅と待ち時間っていうのは切っても切り離せない関係
もちろん待ち時間を待ち時間と感じさせないような時間の使い方をする人はたくさんいると思う
乗りたかったバスや電車をミスっても
まあいいかって受け止められる人や
夜行バスまでの時間でエネルギッシュに動き回れる人とか
夜のバスだったら夜まで飲んでりゃいいやっていう人もいるだろうし


まあ
でも俺にとっては旅においてこの待ち時間が占める割合は大きい

この長い待ち時間をどう捉えどう使うのか
どのようにコントロールし、マネジメントするのかが
旅の質を方向付けていくんじゃないか
そう思わせられてしまう


3人で旅してたときも
待ち時間っていうとやることないし
会話っていってもいっつも一緒にいるし
待ち時間って会話も盛り上がらない

本があるときはいいけど
もてる本なんて限られてるし
あっという間に全部読んじゃうくらい待ち時間が無限にある

音楽聴くのもいいけど
1時間も2時間も楽しいかって言うとそうでもない


とまあ
何かと手持ち無沙汰にもなりがち
むしろみんなこの待ち時間を何につかってるんだろうかと聞いてみたいくらい






でも
今はこの待ち時間をどう使うのかを考えたり
実際に待ち時間を有効に使えるのが楽しい





本質というからにはそれなりに意味があるんじゃないかっていうところだけど


待ち時間の時間の使い方こそ
その人らしさが出てくるんじゃないかって思う

万事即一生の考えだと
まあ全部が全部なんだけど


待ち時間の質が旅の質を決める
といったら言い過ぎかもしれないけど
待ち時間をどのように過ごすかは本当に面白いテーマだと思う



たとえば2時間待ち

ボーっとしてても同じ
うとうとしてても同じ
本を読んでても
漫画読んでても
音楽聴いてても

何をしても同じ2時間

それをどう使うか

時間=命

という考え方があるけれど
待ち時間にも実は命の使い方が現れるって考えると深い



実際に
観光だったらそこまで大差ない
同じところにいって
ガイドから同じ説明うけて
同じような角度で写真とって

もちろん知識や経験によって受けとるものは違うだろうし
写真だっていろいろな差があるだろうけど
やってることって同じ


でも
待ち時間の使い方って差が出てくると思う

何をするか自由度が高い

自由に自分の行動を選択できる中で何をしていくか


長旅に生じる大きなスキマ時間
1年というスパンで考えたとき
ここででき得ることは大きなことだろうし
1年で何もしなかった自分と何かをした自分では大きな差が生まれてしまう




俺はただ旅してればいいって思ってないし
旅をすることで自分を成長させたいって思ってる
それは
旅をしたからこそっていう成長と
旅をしながらでもっていう成長



待ち時間はそんな成長への貴重な投資時間


ただの待ち時間
でも同じ時間
それが自分の命
それをどう使うか
自分の自由



そんな大切な時間を大切に
日本だとそれが5分とか10分だから気づかなかったかもしれないけど
1時間とか2時間っていう大きな単位になって現れてくると
それを意識せずにはいられない

目に見えないもの




旅を再開して1ヶ月半くらいたった


立ち止まっている間にこべりついてしまったネガティブな考え
もしかしたら
もともとネガティブなところに上塗りしていたものがすっかりとれて
元来の姿がむき出しになってしまっていただけかもしれないけれど



とにかくスタートはマイナスだった



思い通りにならないことにイラついたり
ちょっとした人とのやり取りで変にかんぐってしまったり
日本に帰りたいと強く思ったり
今していることに疑問や不安を抱いたり
先行きが不透明なことをどうにかしようとして押しつぶされそうになったりと

とにかく波にのりきれていなかったし
楽しめていなかった



それでも
北欧を駆け抜けて
バルト3国で少し落ち着き
ポーランドでブログと旅をやめちゃえばいいんだ
っておもってからは少しずつ浮上の気配がみえてきた


今回のロウポイントはそこが夜明け前だったみたい




自分らしく自分の時間を使って
自分が好きなように楽しめばいいんだ



そう思ってからは
全然旅と関係ないブログばっかり書いているけれど
久しぶりに書くことが楽しいと思えてるし
楽しいからこそ表現というものに挑戦したいという願望もでてきてる


寒いから観光っつってもすぐ宿に帰ってきちゃったりするけれど
それはそれで観光するだけが旅じゃない
って思ったら
読みたかった本をじっくり読んだり
日本に帰ったらなかなかこれには時間をさけないな
っていうことで
さらに自分が好きなことで
将来的にも必要なスキルを磨けるという
俺が好きな1つのことでいくつもの利点があるという
英語の本をじっくり読むということも始めた


NZでも心がけて読もうとしてたけど
どうしても集中できなかったり
本によって当たり外れがあったりで
なかなか進まなかったし
できることがたくさんあると
どうしても少し成長のための苦痛を伴うこの作業の優先順位は下に下りてきてしまう


でも
今はできることが限られた環境だから
1つの本にじっくり向き合える


面白いもので
じゃあ英語の本を読もうと思って
前からずっと気になってたやつを買ったんだけど
それが面白くて面白くて大当たりだった


ターミナルでバスを待ってるときも
気をつけないと自分のバスを見逃しちゃうんじゃないかってくらい
充実した内容のものだった


フィリピンで学校にいって
英語っていうのは長期的なスパンで継続的にやっていかないと
使い物になるレベルにはならないことを悟ったから

この旅中にせっかくだから英語も勉強しながらやっていこうって決めた



ずーっとやってきた成果が少しでてきたのか
以前よりも読む事のストレスが減った気がする


もちろん
まだまだ日本語のものみたいにすらすらは読めないし
内容も全部が全部つかめてるわけじゃ泣けど
それでも進歩を感じられるは快感




んで
こうやって自分で自分の時間を楽しめるようになってくると
すごく面白いと思うんだけど
自分の時間がとれなくなっていく








目に見えないものを信じるかどうか



これってすごく深いテーマ
この先何十年も考えていきたいくらい面白い



俺はどっちかというと
世の中には目に見えない力が大きく作用してる
っていう意見を支持してる



科学では解明しきれていない何か

そういうものが存在しているんじゃないかって思う



ある人はそれを想像力といったり

ある人は波動といったり

またある人は気といったり


いろいろだけど
言葉とか定義はどうであれ
たしかにそんなようなものは存在してるんじゃないかって思う



何年か前に「ザ シークレット」っていう本が
世界中で売れに売れた


今だにいろんな国を歩いていていろんな書店で売られてる
ヨーロッパを歩いていてもよく見る
今日も見かけたし



この本はどんな本かというと
一言でいうと「引き寄せの法則」っていうもの


良い波動が出ていればよいものを引き寄せ
逆に
悪い波動を出していれば悪いものを引き寄せる
っていうもの



引き寄せの法則に関しては
いろんな人が
いろんな本を書いている


いくつか読んだけど
怪しげなディープなものから
論理的に説明してあるものまでさまざま



心底から
「なるほど!そうなんだ!」って納得できるような説明っていうのは
正直言って今のところなされていないように思う



いっていることは分かるけれど
でもこういう場合はどうなの?っていう疑問が出てきたり
信じられるに十分なほど論理的な記述に出会っていない



それでも
直感的にだったり
経験的にはすごくわかる




ブライアン トレーシーは人類史上最大の発見として
「人間はあなたが考えているような人間になる」
ということをあげている


これもおそらく引き寄せの法則の1つだと思う



また
ある科学者は
人間の意思というのは物質である
という主張をしているらしい



もし
その主張が証明されたら
この引き寄せの法則も科学的に説明できるんじゃないかと期待してるけど
今のところ証明はされていないよう





こういった目に見えないもので
結局はわからないことなんだけれど


アンソニーロビンズは面白いことをいっていて

「電波が目に見えないからといってリモコンを信用しない人や、携帯電話を疑う人はいない
 目に見えるものがすべてじゃない。
 実際に目に見えなくて、仕組みがわからなくてもすでに生活の一部として使っている道具がある。
 ほとんどの人は電気が点灯する仕組みは説明できないかもしれないけれど、
 スイッチをつければ明かりが点くことは知っているし、使っている。
 それは人間の思考でも実は同じなのだけれど、
 1つ違うのは、この点に関しては多くの人はそれを使えていないということ」




こういう意見を聞いてみると
確かにそいうったものは存在しているかもしれないと思ってしまう







んで
何がいいたいかというと



自分の時間を自分で楽しめるようになってきたことで
旅に対してだったり
もっと広い意味では自分自身の生き方というところの
チューニングが合ってきたんだろうと思う



つまんねーなー
とか
一人旅は孤独が沁みるぜー

っておもってたのが


次から次に日本人の人と出会って色々とはなす機会があったり
仲良くなった人と一緒に飲んだりと


自分の時間がなくなっちゃうくらいになったりした



自分の気持ちもどんどん落ち着いていってるし
波長なのか
波動なのか
気なのか
よくわかないけど
調律がとれてきて

そして
押し出されるようなうねりをつくり加速し始めた




この加速度のまま
3日後にはいよいよスイスに突入してしまう


ヨーロッパにきてから
スイスに行けば色々楽しい時間を過ごせるから!
と励ましてよりどころとしてきてたところへ

日が近づくにつれて
もうこんな時期か
まだ気ままに一人旅しててもよかったな
ってそう思えるくらいに浮上してきてる



こんな状態で
2年以上ぶりにドミニクと再会したら
どうなってしまうんだろう


そして
おそらく楽しいであろうスイス

それを抜けたあとに始まる新たな旅
どんなものがまってるんだろう




日が経てばたつほど
そこに向けてすべてが動きだしていっているみたいに


まるで
はじめからすべてが決まっていたように


大型台風が
通り道すべてのものをなぎ倒してしまうみたい




目に見えない何かが
自分のしらないところでどんどんどんんどん大きくなっていってる



どんどんエネルギーが集まって
大きな風が吹き始めているのを感じる


愛することの見返り


ギブアンドテイク


与えれば与えられる


あなたが受け取っているものは
あながが与ええたものである






じゃあ愛することの見返りというのは愛されることなんだろうか








愛するとは感情ではなく行動

愛とは名詞ではなく動詞である
自らが主体的になること
相手が自分のしてほしいことをしてくれないと嘆くのではなく
自分が相手に何をしてあげられるかを考えること
それを実践すること



愛は感情によって始まり
行動によって具現化され
相手に伝わって完結する





かつて
愛は感情だと思っていた
だから波がある
だからわからなくなる


相手のことが好きなのかどうなのか
人間だからいくら好きな相手とはいえわずらわしくなってしまうときもあるだろうし
いつもいつもうまくいくとも限らない
それもすべてひっくるめの愛だと今は思えるけど
昔はそうは思えなかった




愛というものの感情を純粋に求めすぎた



そしていつしか相手に期待しなくなり
愛をあきらめた



人を好きになるということがわからなくなった





でも
日本をでて何が月かたって
愛というものに対する考え方が少しずつ変わってきて
感情と行動の両方のバランス
そして
愛というのは決断と覚悟なんじゃないかって思うようになった




この人と共に歩んでいこうと決めること
何があろうと別れないと覚悟すること




その覚悟のもとに
自分が相手に何をできるだろうと行動すること






フィリピンで出会った彼女




一瞬にすべてをかけて
岡本太郎が言うように
運命がパっと開く瞬間というのを少なからず体感できたように思う




そのとき
「ノートブック(君に読む物語)」という映画をみて
これが自分が思う理想の愛の形だって思った

こうなりたい
こうなろうって誓った



彼女と無事付き合えることになり
旅を捨ててオーストラリアへと戻った



4ヶ月ほど一緒にくらし
そのあとはAUS国内で遠距離恋愛

俺のビザのこともあり俺はいったんNZへといった
そして彼女が韓国へ帰る前
大好きなサーファーズで再会し
GCとシドニーを共にすごした

ふただびはなれることになったけれど
夏に東南アジア
冬にヨーロッパ
そのあとはまたそのあと考える
っていう感じで
俺は旅と彼女、両方を求めた





彼女が韓国へ戻るころには
付き合ってから1年が経っていた


国籍の違い
言葉の違い
年齢の違い
文化の違い


さまざまな違いがいろいろな形となって障害として現れるけれど
そのたびに乗り越えてこれたんじゃないかと思う
高いモチベーションを維持できていたし
俺が引っ張っていかないと何かの拍子に終わってしまうんじゃないかというんもろさも抱えていたけれど
それですら良い緊張感としてとらえていた


遠距離をしてたときは
やっぱり何かとピンチはあったし
俺からもうサジを投げてしまいたいと思うこともあったし
なんでこの人と付き合ってんだろうとか
なんでこんな苦労してんだろう
ここまでして付き合う人なのか

とか
正直そう思ったりもしたけど
そのたびに
自分が乗り越えなければいけないのはこのポイントだとハっとした


人を愛することができない自分へ
彼女が修行をさせてくれてるんだっ思うようにした
(感情的になっているときはもちろんそんなことできないけど)



わーっと自分の正しさをぶつけて
相手を言い負かせるんじゃなくて
ぐっとこらえて
深呼吸して
一歩ひいてものごとをみて


わがままにすごしてきた自分には
こんな当たり前のことが苦痛であったりしたけれど


それも愛の形だと思ったら
それができる人間になりたいって思った


愛っていうのは自分の正しさを押しとおすことじゃない
俺が焦点を当ててたのは
どうしたらいい関係になれるだろうか、いい関係であり続けられるだろうか
どうしたらもっと愛せるだろうか、愛し合えるだろうか

今目の前の行動はそれにたいして役立つことなのかそうでないのか


そう考えるようにしたら
いくら相手の間違いを指摘したって
何の役にも立たない
相手が話すことの表面的な内容じゃなくて
深い意味が見えてくる




人の成長って筋トレに似てるっておおもう


筋肉を大きくしようとおもったら
負荷の軽いものでいくらやったてダメ
ギリギリ持ち上がるかどうか
筋肉がパンパンに張って
もうこれ以上あげられない
そこからが本当の筋力トレーニングだという
そこで辞めてしまっては筋肉は発達しない



人の愛の大きさもそうだと思う


もう無理
もう辞めてしまいたい



そう思ってからが本当の愛

気分がいいときにちょっと相手に何かしてあげるなんて誰でもできる


でも
このやろー!!
って思ってるときに自分から歩みよれたり
ぜったいこうだ!!
って主張したいときこそ
相手の話を聞いて気づいてもらうこと



そういう意味で愛を大きくする機会にすごく多く恵まれていた




それは
もちろん最初に決断と覚悟をしていたからできたこと



女の人なんでほかにもいる
なんてもっともな意見


でも
きついときにそう思ってしまったら
絶対次があったとしてもまた同じことを思うはずだ

万事即一生なのだから



運命の人なんて誰かが教えてくれるわけじゃない
世界中の人と付き合ってみて
じゃあ自分はこの人でって決めるわけじゃない

自由恋愛だからうまくいくかというとそうじゃない
お見合いだって親が決めたような結婚だってうまくいく


だったら何が決定要因なのかというと
決めることだと俺は思う


何があっても愛するということを選択していくんだという覚悟


逃げ道を残さない


だから
旅をやめていいと思ったわけだし

これで自分から投げ出すくらいだったら
もう誰と付き合ってもうまくいかないって思ったし
もう自分は何をやっても中途半端な人生を歩んでいくんだろうって思った


そういうつもりでやっていた



いつも何ができるかを考えるのが楽しかったし
どうやってもういい関係になるかを考えるのが趣味になっていた



離れているときはいろいろつらかったけれど
それはしっかり彼女に伝わっていた
それが確認できたときは
やっぱりこれでよかったんだって思えて
愛が大きくなっていくのがわかった











でも




















終わりというのは突然来てしまった























AUSで再会して
彼女は韓国へ戻り
俺はいったんNZへ戻った





再び遠距離になったけれど
8月にタイかマレーシアで会う約束をしていた


俺はそのあとどこでどういうにやっていくのかが山場だな
なんて思ってたけど


それよりも早く
むしろ
4月にまた遠距離になって
8月に会うことにになってるのに
それ前に終わってしまうなんて思ってもみなかった






いつ
どこで会うかの話をしてるときに

彼女から
がちょっといったん考えさせてほしい
と告げられた


確かにその前からうまく言ってるというような状態ではなかったけれど
それまでいろんなことを乗り越えてきていたから
おれは大丈夫だと思ってたんだけど



結局
彼女はそれほどの覚悟ができなかったんだろうと思う


それも分かる
22歳とかそんな年齢でまだ大学生で
年齢よりも幼い考え方の彼女で
友達で彼氏がいる人はすぐそばにいる人たちばかりで
自分はといえば国籍もちがうし旅にいってる
仮にすぐに帰ってきたとしても帰る場所も違う

日本に住むって言う覚悟もできないし
俺が韓国に住んで養っていくっていうのも難しい
どこか別の国へっていっても
実家に住んでる彼女にはそれもできない選択だったのかなー



まあ
もっともらしいけどどれもいいわけだね


結局はダメなもんはダメなんだっていう話







韓国へ行こうとも思った
韓国へ行ったら説得できると思ったし
もう1回頑張ろうってなれると思ったけれど
やっぱそれをしても
また同じことが起きる
きりがない



その行動にはふみきれなかった
まだ愛が足りなかったんだろうな
あと
彼女を信頼しきれなかったんだろうな









彼女から
考えさせて欲しいといわれて







自分の中ではもう終わったなって思った























もう1回映画の「ノートブック」を見た
何回も見てるんだけど
最初の30分くらいからずっと泣きっぱなし



そんで
俺の中ではなんかすっきりしてしまった




この1年3ヶ月の間
自分が理想と思っていた愛を行動で示すっていうことが
精一杯できていたって思った



これでだめだったらもう何をやってもだめだっていう覚悟でのぞんで
実際にダメになってしまったら
もう何もかもがダメになっちゃいそうかというと
実はそうじゃなかった




感じたのは
これでだめならしょうがねぇやっていう爽快感
できることは全部やっったよっていう満足感



結果がうまくいってないんだから
そんなことで自己満してもしょうがないし
まだまだ自分に甘いってことなんだろうけど


それでも映画を見終わって
目をはらして仕事して
一晩寝たらすっきりしちゃった




未練とかもまったくない
やり直したいとおもまったく思わない




結局そのあと

彼女から
私が間違ってた、ごめんね

っていう連絡がきて
じゃあ8月に会う話を具体的にしようっていう話をしてて


でも
最後の最後
日程も場所も全部決めてじゃあチケットとろうかってなったときに


あー
もうやっぱり無理。。。


ってなった

相当ストレスになってたのか
もう最後はまともに会話もdけいないような状態で終わってしまったのは残念だったけど

彼女に考えさせて欲しい
っていわれた時点でもう答えは出てたのかもしれない








ということで
彼女と別れしまった




歩く花になりたかったけれど
愛する人の庭では花は咲き続けなかったな






一瞬にすべてをかけてびびりながら頭から飛び込んでみて
結果だめだったけれど
じゃあすべてを失ったかというとそうでもなかった


飛び込んだことで新たな旅への道も開かれたわけだし
その間にいろんな人にもで会えて
いろんあことも学べた





そして
何より








愛することの見返りを得られた























愛することの見返りっていうのは愛されることじゃない


















愛することの見返りは「愛する」ということ




愛という行動をしてきたことで
得られたもので
自分が人を愛する人間になれたということ
人の魅力に気づける人間になれたということ

愛を主体的に選択できる力が備わったこと
そして
自分に内在している
人を愛することができる力を信じられるようになったこと







いったん旅をストップしてから備わった武器




過去でも未来でもなく
現在に運命を賭けられた経験


愛することで得られた愛することができる自分



また新しい自分となって
さらにこの先続く道を切り開いていくことになった

愛することの見返り②





愛することの見返りは愛すること








彼女を失った俺は
旅への準備を進めることにした



旅をすることが残っていることがうれしかったし
これも先のことは考えずに
「今なにをもっとも望んでいるのか」を選択した結果
自分で切り開いてきたこと



やってみたらなんとかなるし
ここまできてまだ旅をするという選択肢が残っているということは
もう何がなんでも達成させたいって思ったし
そういう運命なんじゃないかとすら感じる




でも






そんな矢先










そう
彼女と別れてまもなく












俺はまた人を好きになった












同じ日本食レストランで働いていた
日本人の女の子




彼女もワーホリでNZに来ていて
ちょうど同じ時期から働きはじめたということと
歳が同じということもあり
話しやすい相手ではあったけれど
でも特別親しいわけではなかったし
仕事先以外では話すこともない
むしろ仕事してるときも
特に話しているわけでもない





それに
何がきっかけにそう思うようになったかも覚えていない




自分でも戸惑っていた





別れたばかりで気が動転してるんじゃないか


本当に好きなのか


ただ寂しいだけなんじゃないのか





自分でもよくわからなかった











それでも
日がたつにつれて
彼女のことを考える時間は増えていったし


あー
たぶんこれって好きってことなんだろうなって
思えるようになっていった





前の彼女との関係を通して
人を愛せる人になっているっていうことなんだろうって実感できた












でも





いざ
そうなってしまうと
そのままでは終われない













旅に出たい
はやく出なきゃって思ってた


NZからヨーロッパへ飛ぶことは決めていたから
ヨーロッパが寒くなる前に行きたい

もともとNZへは
前の彼女との日程調整のために来ていた部分が大きかったし
そのころはフルに働いているわけではなく
家賃と食費やらを払ったら手元に少し残るくらいの給料だった

お金が貯まるわけでもないのに
長居はしたくない


このころ
すでに日本でやりたいことの方向性が見えかかってきていたから
早く帰りたいっていうこともあったし
年齢的なことも考えてもそれほど時間があるようには思えなかった





でも
新たに出てきた気持ち






その子が好きだということ










俺の中の太郎が叫ぶ








何を望んでるんだ?











彼女のことをあきらめて旅に出るという選択肢は
自分でコントロールできることにある








でも
それでいいんだろうか?














俺は旅をしにきてるわけじゃない













旅を通して
自分を成長させたいと思っているし
これまでの自分がそうであったように
「やりたいことではなくできそうなこと」を選択していく自分を変えたくて
旅ということを選択した



じゃあ
旅にでることで
「できそうなこと」を選んでいるんだったら
結局それはただの旅でしかなくなってしまう






それに
今ここで
彼女をあきらめて旅に出るという選択を取ってしまったら






俺が去年
フィリピンで下した決断はなんだったのか
ってなってしまう




せっかく
不確定不透明な未来への未知だとしても
自分が「これだ!」って思ったら
そこに飛び込んでいける自分になりかかっていたのに






また
俺は自分で自分を引っ込めてしまうのか
















たぶん俺が取らなきゃいけない選択は自分で分かっていたんだと思う






それに
この数日で


ほんの数日かもしれないけれど




俺の中では彼女が好きだと確信をもっていたし



俺としては


別れたばかりだから人をすきなっちゃいけないわけじゃないし
人を好きになるのになんて理由なんてないし
出会ってからの時間の長さとか親密さなんて二の次




好きなもんは好きなんだって思う











ただ






状況としては






俺は別れたばかり



そして
運よく彼女も別れたばかり



でも
運悪く別れたばかりとも言えるかもしれない





んで



これまで
さんざん前の彼女をいかに俺が好きなのかを
目の前で語っていた手前


別れたとたん
自分はあなたが好きなんです



なんていったところで
信用してもらえるだろうか


いくら俺が好きなもんは好きなんだ


っていったところで


信用できません!!



っていわれちゃうのがオチな気がする















さあ





どうしようか









旅へいざなわれる狭間で


彼女への思いは募っていき

伝えたいと思うけど素直になっていいものか悩ましいい状況







今までのことが試されてる



結果は自分で選べないけど
今何するかは自分で選べる





人を愛するということと


今にかけるということ





こういう
難しい決断こそ俺が求めていたものなのかもしれない












かといっても
その中にいたらそんな余裕はなく


いたずらに過ぎていく日々と
どうしようもできない現実に
もんもんとストレスをためながらすごしていった
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Profile
    2009年3月に世界一周へ出発したはずが
    ワーホリしたり、語学学校で英語勉強したりしてる間に恋したり
    結局旅は中断。
    それ以降も
    不法就労したり、人体実験したりと
    しぶとく生き抜き
    2011年10月にようやく旅を再開。
    12月からは愛する彼女と2人旅に。

    人と関わるよりも、一人で妄想する方が好きで
    冒険心よりも、保守的思考が強く
    どちらかというと旅よりもインドアで待ったりという方が好きだけど
    それが自分の旅のスタンスでありスタイル

    どこに行って何を見たかよりも

    何を思い、どう動いたのか
    そしてその結果
    どんな言葉に出会えたか

    今は言葉に出会うために旅してます

I.G.・LANの日記
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