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○○と共に知へ


最後にブログを書いてからずいぶんと時間がたってしまった



いろいろとばたばたしてたというのも事実だけど

書く気が起きなかったというのが正直なところな気がする






というのも



前の彼女と別れて
また新しい人を好きになって
その人と何かあったのか、なにもなかったのか
それを事細かに書く気が起きない



書き始めから気がのってなかった


それでも勢いで書き出して
次のやつも書いてたけどとてもUPする気になれず
時間がたてば書く気が沸いてくるかなとおもったけれど
一向に沸いてこなかった






でも
書かないと先に進めない気がするから
なんとかまとめたいと思う













俺なりにすごい葛藤があって
旅に出たい
でも新たに出てきた気持ちを無視したくない

っていうわがままな気持ちから
少しずつ彼女に近づくようにしていって
同じ職場だったからそこに強烈な追い風を吹かせてくれた助っ人の力もあり
本当に紙一重のところではあったけれど














俺はその人と付き合うことになった

















その1ヶ月は毎日もんもんとしていて
何もやる気が起きなくて
いきた心地がしていなかった日々だった



前の彼女と付き合うときに
相当な決心と覚悟をもって望んで
それがダメになった今


今回こそは!
とか
この人となら!


っていうような前のめりのエネルギーっていうのはない

必要以上に肩に力も入っていない




すごくいい意味で
すごくいい感じで


ああ
たぶんこの人が最後に付き合う人になるんだな





頭ではなくて
心の奥底でもなくて



なにか
感覚で分かるというのか
どこから来たのか分からない感覚だけど
どこにでもその感触がある感覚



春一番が吹いて
春の訪れを予感するような自然さ



初期設定として組み込まれていたプログラムが作動したように

知るというか悟るというか

まだおきていない未来の事象が
まるで今現在起きている事柄のように受け入れられる





俺はずっとこういう人と付き合いたかったんだろうなって思えたし
今までのことがここに至るまでの準備だったんだろうって思えてしまう




そんな彼女とは

これまでどうだった
とか
付き合うまでにどうであったか
っていう過程よりも


付き合う前から
すでに
付き合ってからこの先のことを
彼女と一緒にいる未来を想像するのが楽しかったし
彼女となら見れる未来はわくわくする未来そのものだった








彼女は
俺にとって彼女である以上に
お互いにこれから先のよきパートナーでありたい



そう思える相手



付き合う前こそ
色々と躊躇していた彼女だけど
よくよく話を聞いてみると
彼女にとって俺もそうった存在なんじゃないかって感じられる



そして


そんな2人が


たぶん口にもせず
強く意識もしていなかっただろうけど
実はずっと奥底で持っていた願望







そんな相手と一緒に世界一周をする








彼女にとっても
俺にとっても



心のどこかであこがれてたことだったであろうこと




それが目の前にあったら
実現のための舵取りをする






旅か彼女かでもない


旅と彼女の両方っていうのでもない


彼女と旅をするっていう新たな選択肢







そして


それは現実に










俺は10月20日から旅を開始

彼女はいったん日本へ




2ヵ月後の

12月21日に再会し


2人での世界一周という
また新たな旅は始まった







そんな状況だったから
その当時のことよりも
彼女とは今のことやこれからのことをたくさん書きたいっていう思いあって
ブログは書く気になれなかったんじゃないかと思う




でも
ようやくこれをかけてすっきりした





さー

日本を出て3年弱たってるけど


新たな旅の始まりだ





一人旅とも
男3人旅ともまったく違う


彼女との2人旅



良い部分もあればもちろん悪い部分もあるだろうと思う


女の人を伴う旅であれば
やっぱりこれまで以上に気をつけなきゃいけないことが増えるし
これから危ないところへもいくし
実際びびりまくりだったりするけれど




安全第一で
一緒に世界のことやお互いのとをいろいろ見ていきたいなっておもう





俺の旅は


友と共に知へ


でもあり


智恵と共に知へ

でもある


R0011983.jpg





愛することの見返り②





愛することの見返りは愛すること








彼女を失った俺は
旅への準備を進めることにした



旅をすることが残っていることがうれしかったし
これも先のことは考えずに
「今なにをもっとも望んでいるのか」を選択した結果
自分で切り開いてきたこと



やってみたらなんとかなるし
ここまできてまだ旅をするという選択肢が残っているということは
もう何がなんでも達成させたいって思ったし
そういう運命なんじゃないかとすら感じる




でも






そんな矢先










そう
彼女と別れてまもなく












俺はまた人を好きになった












同じ日本食レストランで働いていた
日本人の女の子




彼女もワーホリでNZに来ていて
ちょうど同じ時期から働きはじめたということと
歳が同じということもあり
話しやすい相手ではあったけれど
でも特別親しいわけではなかったし
仕事先以外では話すこともない
むしろ仕事してるときも
特に話しているわけでもない





それに
何がきっかけにそう思うようになったかも覚えていない




自分でも戸惑っていた





別れたばかりで気が動転してるんじゃないか


本当に好きなのか


ただ寂しいだけなんじゃないのか





自分でもよくわからなかった











それでも
日がたつにつれて
彼女のことを考える時間は増えていったし


あー
たぶんこれって好きってことなんだろうなって
思えるようになっていった





前の彼女との関係を通して
人を愛せる人になっているっていうことなんだろうって実感できた












でも





いざ
そうなってしまうと
そのままでは終われない













旅に出たい
はやく出なきゃって思ってた


NZからヨーロッパへ飛ぶことは決めていたから
ヨーロッパが寒くなる前に行きたい

もともとNZへは
前の彼女との日程調整のために来ていた部分が大きかったし
そのころはフルに働いているわけではなく
家賃と食費やらを払ったら手元に少し残るくらいの給料だった

お金が貯まるわけでもないのに
長居はしたくない


このころ
すでに日本でやりたいことの方向性が見えかかってきていたから
早く帰りたいっていうこともあったし
年齢的なことも考えてもそれほど時間があるようには思えなかった





でも
新たに出てきた気持ち






その子が好きだということ










俺の中の太郎が叫ぶ








何を望んでるんだ?











彼女のことをあきらめて旅に出るという選択肢は
自分でコントロールできることにある








でも
それでいいんだろうか?














俺は旅をしにきてるわけじゃない













旅を通して
自分を成長させたいと思っているし
これまでの自分がそうであったように
「やりたいことではなくできそうなこと」を選択していく自分を変えたくて
旅ということを選択した



じゃあ
旅にでることで
「できそうなこと」を選んでいるんだったら
結局それはただの旅でしかなくなってしまう






それに
今ここで
彼女をあきらめて旅に出るという選択を取ってしまったら






俺が去年
フィリピンで下した決断はなんだったのか
ってなってしまう




せっかく
不確定不透明な未来への未知だとしても
自分が「これだ!」って思ったら
そこに飛び込んでいける自分になりかかっていたのに






また
俺は自分で自分を引っ込めてしまうのか
















たぶん俺が取らなきゃいけない選択は自分で分かっていたんだと思う






それに
この数日で


ほんの数日かもしれないけれど




俺の中では彼女が好きだと確信をもっていたし



俺としては


別れたばかりだから人をすきなっちゃいけないわけじゃないし
人を好きになるのになんて理由なんてないし
出会ってからの時間の長さとか親密さなんて二の次




好きなもんは好きなんだって思う











ただ






状況としては






俺は別れたばかり



そして
運よく彼女も別れたばかり



でも
運悪く別れたばかりとも言えるかもしれない





んで



これまで
さんざん前の彼女をいかに俺が好きなのかを
目の前で語っていた手前


別れたとたん
自分はあなたが好きなんです



なんていったところで
信用してもらえるだろうか


いくら俺が好きなもんは好きなんだ


っていったところで


信用できません!!



っていわれちゃうのがオチな気がする















さあ





どうしようか









旅へいざなわれる狭間で


彼女への思いは募っていき

伝えたいと思うけど素直になっていいものか悩ましいい状況







今までのことが試されてる



結果は自分で選べないけど
今何するかは自分で選べる





人を愛するということと


今にかけるということ





こういう
難しい決断こそ俺が求めていたものなのかもしれない












かといっても
その中にいたらそんな余裕はなく


いたずらに過ぎていく日々と
どうしようもできない現実に
もんもんとストレスをためながらすごしていった

愛することの見返り


ギブアンドテイク


与えれば与えられる


あなたが受け取っているものは
あながが与ええたものである






じゃあ愛することの見返りというのは愛されることなんだろうか








愛するとは感情ではなく行動

愛とは名詞ではなく動詞である
自らが主体的になること
相手が自分のしてほしいことをしてくれないと嘆くのではなく
自分が相手に何をしてあげられるかを考えること
それを実践すること



愛は感情によって始まり
行動によって具現化され
相手に伝わって完結する





かつて
愛は感情だと思っていた
だから波がある
だからわからなくなる


相手のことが好きなのかどうなのか
人間だからいくら好きな相手とはいえわずらわしくなってしまうときもあるだろうし
いつもいつもうまくいくとも限らない
それもすべてひっくるめの愛だと今は思えるけど
昔はそうは思えなかった




愛というものの感情を純粋に求めすぎた



そしていつしか相手に期待しなくなり
愛をあきらめた



人を好きになるということがわからなくなった





でも
日本をでて何が月かたって
愛というものに対する考え方が少しずつ変わってきて
感情と行動の両方のバランス
そして
愛というのは決断と覚悟なんじゃないかって思うようになった




この人と共に歩んでいこうと決めること
何があろうと別れないと覚悟すること




その覚悟のもとに
自分が相手に何をできるだろうと行動すること






フィリピンで出会った彼女




一瞬にすべてをかけて
岡本太郎が言うように
運命がパっと開く瞬間というのを少なからず体感できたように思う




そのとき
「ノートブック(君に読む物語)」という映画をみて
これが自分が思う理想の愛の形だって思った

こうなりたい
こうなろうって誓った



彼女と無事付き合えることになり
旅を捨ててオーストラリアへと戻った



4ヶ月ほど一緒にくらし
そのあとはAUS国内で遠距離恋愛

俺のビザのこともあり俺はいったんNZへといった
そして彼女が韓国へ帰る前
大好きなサーファーズで再会し
GCとシドニーを共にすごした

ふただびはなれることになったけれど
夏に東南アジア
冬にヨーロッパ
そのあとはまたそのあと考える
っていう感じで
俺は旅と彼女、両方を求めた





彼女が韓国へ戻るころには
付き合ってから1年が経っていた


国籍の違い
言葉の違い
年齢の違い
文化の違い


さまざまな違いがいろいろな形となって障害として現れるけれど
そのたびに乗り越えてこれたんじゃないかと思う
高いモチベーションを維持できていたし
俺が引っ張っていかないと何かの拍子に終わってしまうんじゃないかというんもろさも抱えていたけれど
それですら良い緊張感としてとらえていた


遠距離をしてたときは
やっぱり何かとピンチはあったし
俺からもうサジを投げてしまいたいと思うこともあったし
なんでこの人と付き合ってんだろうとか
なんでこんな苦労してんだろう
ここまでして付き合う人なのか

とか
正直そう思ったりもしたけど
そのたびに
自分が乗り越えなければいけないのはこのポイントだとハっとした


人を愛することができない自分へ
彼女が修行をさせてくれてるんだっ思うようにした
(感情的になっているときはもちろんそんなことできないけど)



わーっと自分の正しさをぶつけて
相手を言い負かせるんじゃなくて
ぐっとこらえて
深呼吸して
一歩ひいてものごとをみて


わがままにすごしてきた自分には
こんな当たり前のことが苦痛であったりしたけれど


それも愛の形だと思ったら
それができる人間になりたいって思った


愛っていうのは自分の正しさを押しとおすことじゃない
俺が焦点を当ててたのは
どうしたらいい関係になれるだろうか、いい関係であり続けられるだろうか
どうしたらもっと愛せるだろうか、愛し合えるだろうか

今目の前の行動はそれにたいして役立つことなのかそうでないのか


そう考えるようにしたら
いくら相手の間違いを指摘したって
何の役にも立たない
相手が話すことの表面的な内容じゃなくて
深い意味が見えてくる




人の成長って筋トレに似てるっておおもう


筋肉を大きくしようとおもったら
負荷の軽いものでいくらやったてダメ
ギリギリ持ち上がるかどうか
筋肉がパンパンに張って
もうこれ以上あげられない
そこからが本当の筋力トレーニングだという
そこで辞めてしまっては筋肉は発達しない



人の愛の大きさもそうだと思う


もう無理
もう辞めてしまいたい



そう思ってからが本当の愛

気分がいいときにちょっと相手に何かしてあげるなんて誰でもできる


でも
このやろー!!
って思ってるときに自分から歩みよれたり
ぜったいこうだ!!
って主張したいときこそ
相手の話を聞いて気づいてもらうこと



そういう意味で愛を大きくする機会にすごく多く恵まれていた




それは
もちろん最初に決断と覚悟をしていたからできたこと



女の人なんでほかにもいる
なんてもっともな意見


でも
きついときにそう思ってしまったら
絶対次があったとしてもまた同じことを思うはずだ

万事即一生なのだから



運命の人なんて誰かが教えてくれるわけじゃない
世界中の人と付き合ってみて
じゃあ自分はこの人でって決めるわけじゃない

自由恋愛だからうまくいくかというとそうじゃない
お見合いだって親が決めたような結婚だってうまくいく


だったら何が決定要因なのかというと
決めることだと俺は思う


何があっても愛するということを選択していくんだという覚悟


逃げ道を残さない


だから
旅をやめていいと思ったわけだし

これで自分から投げ出すくらいだったら
もう誰と付き合ってもうまくいかないって思ったし
もう自分は何をやっても中途半端な人生を歩んでいくんだろうって思った


そういうつもりでやっていた



いつも何ができるかを考えるのが楽しかったし
どうやってもういい関係になるかを考えるのが趣味になっていた



離れているときはいろいろつらかったけれど
それはしっかり彼女に伝わっていた
それが確認できたときは
やっぱりこれでよかったんだって思えて
愛が大きくなっていくのがわかった











でも




















終わりというのは突然来てしまった























AUSで再会して
彼女は韓国へ戻り
俺はいったんNZへ戻った





再び遠距離になったけれど
8月にタイかマレーシアで会う約束をしていた


俺はそのあとどこでどういうにやっていくのかが山場だな
なんて思ってたけど


それよりも早く
むしろ
4月にまた遠距離になって
8月に会うことにになってるのに
それ前に終わってしまうなんて思ってもみなかった






いつ
どこで会うかの話をしてるときに

彼女から
がちょっといったん考えさせてほしい
と告げられた


確かにその前からうまく言ってるというような状態ではなかったけれど
それまでいろんなことを乗り越えてきていたから
おれは大丈夫だと思ってたんだけど



結局
彼女はそれほどの覚悟ができなかったんだろうと思う


それも分かる
22歳とかそんな年齢でまだ大学生で
年齢よりも幼い考え方の彼女で
友達で彼氏がいる人はすぐそばにいる人たちばかりで
自分はといえば国籍もちがうし旅にいってる
仮にすぐに帰ってきたとしても帰る場所も違う

日本に住むって言う覚悟もできないし
俺が韓国に住んで養っていくっていうのも難しい
どこか別の国へっていっても
実家に住んでる彼女にはそれもできない選択だったのかなー



まあ
もっともらしいけどどれもいいわけだね


結局はダメなもんはダメなんだっていう話







韓国へ行こうとも思った
韓国へ行ったら説得できると思ったし
もう1回頑張ろうってなれると思ったけれど
やっぱそれをしても
また同じことが起きる
きりがない



その行動にはふみきれなかった
まだ愛が足りなかったんだろうな
あと
彼女を信頼しきれなかったんだろうな









彼女から
考えさせて欲しいといわれて







自分の中ではもう終わったなって思った























もう1回映画の「ノートブック」を見た
何回も見てるんだけど
最初の30分くらいからずっと泣きっぱなし



そんで
俺の中ではなんかすっきりしてしまった




この1年3ヶ月の間
自分が理想と思っていた愛を行動で示すっていうことが
精一杯できていたって思った



これでだめだったらもう何をやってもだめだっていう覚悟でのぞんで
実際にダメになってしまったら
もう何もかもがダメになっちゃいそうかというと
実はそうじゃなかった




感じたのは
これでだめならしょうがねぇやっていう爽快感
できることは全部やっったよっていう満足感



結果がうまくいってないんだから
そんなことで自己満してもしょうがないし
まだまだ自分に甘いってことなんだろうけど


それでも映画を見終わって
目をはらして仕事して
一晩寝たらすっきりしちゃった




未練とかもまったくない
やり直したいとおもまったく思わない




結局そのあと

彼女から
私が間違ってた、ごめんね

っていう連絡がきて
じゃあ8月に会う話を具体的にしようっていう話をしてて


でも
最後の最後
日程も場所も全部決めてじゃあチケットとろうかってなったときに


あー
もうやっぱり無理。。。


ってなった

相当ストレスになってたのか
もう最後はまともに会話もdけいないような状態で終わってしまったのは残念だったけど

彼女に考えさせて欲しい
っていわれた時点でもう答えは出てたのかもしれない








ということで
彼女と別れしまった




歩く花になりたかったけれど
愛する人の庭では花は咲き続けなかったな






一瞬にすべてをかけてびびりながら頭から飛び込んでみて
結果だめだったけれど
じゃあすべてを失ったかというとそうでもなかった


飛び込んだことで新たな旅への道も開かれたわけだし
その間にいろんな人にもで会えて
いろんあことも学べた





そして
何より








愛することの見返りを得られた























愛することの見返りっていうのは愛されることじゃない


















愛することの見返りは「愛する」ということ




愛という行動をしてきたことで
得られたもので
自分が人を愛する人間になれたということ
人の魅力に気づける人間になれたということ

愛を主体的に選択できる力が備わったこと
そして
自分に内在している
人を愛することができる力を信じられるようになったこと







いったん旅をストップしてから備わった武器




過去でも未来でもなく
現在に運命を賭けられた経験


愛することで得られた愛することができる自分



また新しい自分となって
さらにこの先続く道を切り開いていくことになった

目に見えないもの




旅を再開して1ヶ月半くらいたった


立ち止まっている間にこべりついてしまったネガティブな考え
もしかしたら
もともとネガティブなところに上塗りしていたものがすっかりとれて
元来の姿がむき出しになってしまっていただけかもしれないけれど



とにかくスタートはマイナスだった



思い通りにならないことにイラついたり
ちょっとした人とのやり取りで変にかんぐってしまったり
日本に帰りたいと強く思ったり
今していることに疑問や不安を抱いたり
先行きが不透明なことをどうにかしようとして押しつぶされそうになったりと

とにかく波にのりきれていなかったし
楽しめていなかった



それでも
北欧を駆け抜けて
バルト3国で少し落ち着き
ポーランドでブログと旅をやめちゃえばいいんだ
っておもってからは少しずつ浮上の気配がみえてきた


今回のロウポイントはそこが夜明け前だったみたい




自分らしく自分の時間を使って
自分が好きなように楽しめばいいんだ



そう思ってからは
全然旅と関係ないブログばっかり書いているけれど
久しぶりに書くことが楽しいと思えてるし
楽しいからこそ表現というものに挑戦したいという願望もでてきてる


寒いから観光っつってもすぐ宿に帰ってきちゃったりするけれど
それはそれで観光するだけが旅じゃない
って思ったら
読みたかった本をじっくり読んだり
日本に帰ったらなかなかこれには時間をさけないな
っていうことで
さらに自分が好きなことで
将来的にも必要なスキルを磨けるという
俺が好きな1つのことでいくつもの利点があるという
英語の本をじっくり読むということも始めた


NZでも心がけて読もうとしてたけど
どうしても集中できなかったり
本によって当たり外れがあったりで
なかなか進まなかったし
できることがたくさんあると
どうしても少し成長のための苦痛を伴うこの作業の優先順位は下に下りてきてしまう


でも
今はできることが限られた環境だから
1つの本にじっくり向き合える


面白いもので
じゃあ英語の本を読もうと思って
前からずっと気になってたやつを買ったんだけど
それが面白くて面白くて大当たりだった


ターミナルでバスを待ってるときも
気をつけないと自分のバスを見逃しちゃうんじゃないかってくらい
充実した内容のものだった


フィリピンで学校にいって
英語っていうのは長期的なスパンで継続的にやっていかないと
使い物になるレベルにはならないことを悟ったから

この旅中にせっかくだから英語も勉強しながらやっていこうって決めた



ずーっとやってきた成果が少しでてきたのか
以前よりも読む事のストレスが減った気がする


もちろん
まだまだ日本語のものみたいにすらすらは読めないし
内容も全部が全部つかめてるわけじゃ泣けど
それでも進歩を感じられるは快感




んで
こうやって自分で自分の時間を楽しめるようになってくると
すごく面白いと思うんだけど
自分の時間がとれなくなっていく








目に見えないものを信じるかどうか



これってすごく深いテーマ
この先何十年も考えていきたいくらい面白い



俺はどっちかというと
世の中には目に見えない力が大きく作用してる
っていう意見を支持してる



科学では解明しきれていない何か

そういうものが存在しているんじゃないかって思う



ある人はそれを想像力といったり

ある人は波動といったり

またある人は気といったり


いろいろだけど
言葉とか定義はどうであれ
たしかにそんなようなものは存在してるんじゃないかって思う



何年か前に「ザ シークレット」っていう本が
世界中で売れに売れた


今だにいろんな国を歩いていていろんな書店で売られてる
ヨーロッパを歩いていてもよく見る
今日も見かけたし



この本はどんな本かというと
一言でいうと「引き寄せの法則」っていうもの


良い波動が出ていればよいものを引き寄せ
逆に
悪い波動を出していれば悪いものを引き寄せる
っていうもの



引き寄せの法則に関しては
いろんな人が
いろんな本を書いている


いくつか読んだけど
怪しげなディープなものから
論理的に説明してあるものまでさまざま



心底から
「なるほど!そうなんだ!」って納得できるような説明っていうのは
正直言って今のところなされていないように思う



いっていることは分かるけれど
でもこういう場合はどうなの?っていう疑問が出てきたり
信じられるに十分なほど論理的な記述に出会っていない



それでも
直感的にだったり
経験的にはすごくわかる




ブライアン トレーシーは人類史上最大の発見として
「人間はあなたが考えているような人間になる」
ということをあげている


これもおそらく引き寄せの法則の1つだと思う



また
ある科学者は
人間の意思というのは物質である
という主張をしているらしい



もし
その主張が証明されたら
この引き寄せの法則も科学的に説明できるんじゃないかと期待してるけど
今のところ証明はされていないよう





こういった目に見えないもので
結局はわからないことなんだけれど


アンソニーロビンズは面白いことをいっていて

「電波が目に見えないからといってリモコンを信用しない人や、携帯電話を疑う人はいない
 目に見えるものがすべてじゃない。
 実際に目に見えなくて、仕組みがわからなくてもすでに生活の一部として使っている道具がある。
 ほとんどの人は電気が点灯する仕組みは説明できないかもしれないけれど、
 スイッチをつければ明かりが点くことは知っているし、使っている。
 それは人間の思考でも実は同じなのだけれど、
 1つ違うのは、この点に関しては多くの人はそれを使えていないということ」




こういう意見を聞いてみると
確かにそいうったものは存在しているかもしれないと思ってしまう







んで
何がいいたいかというと



自分の時間を自分で楽しめるようになってきたことで
旅に対してだったり
もっと広い意味では自分自身の生き方というところの
チューニングが合ってきたんだろうと思う



つまんねーなー
とか
一人旅は孤独が沁みるぜー

っておもってたのが


次から次に日本人の人と出会って色々とはなす機会があったり
仲良くなった人と一緒に飲んだりと


自分の時間がなくなっちゃうくらいになったりした



自分の気持ちもどんどん落ち着いていってるし
波長なのか
波動なのか
気なのか
よくわかないけど
調律がとれてきて

そして
押し出されるようなうねりをつくり加速し始めた




この加速度のまま
3日後にはいよいよスイスに突入してしまう


ヨーロッパにきてから
スイスに行けば色々楽しい時間を過ごせるから!
と励ましてよりどころとしてきてたところへ

日が近づくにつれて
もうこんな時期か
まだ気ままに一人旅しててもよかったな
ってそう思えるくらいに浮上してきてる



こんな状態で
2年以上ぶりにドミニクと再会したら
どうなってしまうんだろう


そして
おそらく楽しいであろうスイス

それを抜けたあとに始まる新たな旅
どんなものがまってるんだろう




日が経てばたつほど
そこに向けてすべてが動きだしていっているみたいに


まるで
はじめからすべてが決まっていたように


大型台風が
通り道すべてのものをなぎ倒してしまうみたい




目に見えない何かが
自分のしらないところでどんどんどんんどん大きくなっていってる



どんどんエネルギーが集まって
大きな風が吹き始めているのを感じる


旅の本質2



前に旅の本質は移動にあるんじゃないかということを書いた


それと似たようなことだけど
もう1つ実はここにも大切なたびのエッセンスが凝縮されてるんじゃないか
って思うものが1つある





それは「待ち時間」




旅をしているとホントに待ち時間が多い


貧乏旅行をしているということと
心配性な性格だからっていうことがあって
この1ヶ月半で10日くらいは待ち時間に使ってるんじゃないかってくらい
何かを待っている時間がながい



何かって
まあそのほとんどは交通手段なんだけど


バスや電車や飛行機
それらを待っている時間がすごくすごく長い

これらも含めて移動としてしまえば
俺の持論からいくとそこも以前書いたような本質に含まれてしまうんだけど
あえて切り離して考えると
この待ち時間にも本質が潜んでいるように思う



どうやって待ち時間が発生するかはケースバイケースだし
考え方次第のところも多くあるんだけど


旅費を抑えたいから夜行バスを使おうってときには
長い長い待ち時間を覚悟する


夜行バスっていうからには夜出るわけで
時間はまちまちだけど
モルドバからルーマニアへのバスだと夜8時だったし
一番最近だと
マケドニアからセルビアへは夜11時半だった


んで
この場合
大体宿を11時とか12時にチェックアウトしなきゃいけないから
そっから何しようってなる


まる1日あるわけだから
観光したりすればいいんだけど
あらかじめ予定を組んでない場合
現地にいっていろいろしてから
結果的に次に場所へ行くのに夜行バスだった
っていう場合が多いから
最終日
つまり夜行バスに乗る日までに
大体市内だったり観光スポットは歩き回っちゃってることがおおい

もちろん2回行ってもいいし
ちょっと足を伸ばして少し離れたところにいって日帰りで帰ってきてもいいし

いろいろとやることをやってればいいんだけど

俺の場合
もうみたものをもう1回見るために歩き回るのとかはだるいなって思ってしまう
自分の気に入った場所や
歩いてて気持ちいい場所があれば別だけど

少し離れた別のところにっていうのもそんな気が起きたことがない
無理に色々見ようとしなくていいと思ってるし
費用抑えようとして夜行にした意味がなくなる


どっかにカフェにいったとしてもせいぜい1時間くらいだし
そんないくつもいくつもカフェに行くわけにもいかない


大体はチェックアウトしたあとも
宿の共有スペースに居座ることが多いけど
場所によってはちょっときまづいこともあってなかなか落ち着かない


あったかければ公園のベンチでボーっとしたりっていうのも良いんだろうけど
この天候だけどそんなことしてたら風邪引いちゃう
ウクライナだったら凍死しちゃってるかもしれない



まあ
色々な手段で粘って
バスターミナルいって
またそこでも2時間とか待つ
1時間の待ち時間なんて短いほう


場合によっては夜行にのって朝ついたはいいけど
4時とか5時とかの場合があるから
街が動き出すまでターミナルで待ってたり
宿のチェックイン待ちをしたりと


とにかく待つ時間は長い



お昼のバスだって
たとえばいったことがないターミナルからのバスに乗るんだったら
乗り遅れたらいやだし
それが歩いていけない距離
たとえばバスとトラムを乗り継ぐとか

そういう場合は
大体インフォで何分くらいかかるか聞いて目安にするけど
いつも正しいとは限らないし
乗り継ぎがうまくいくかもわからない
それに
たまにおきるんだけど
間違ったものにのってしまったり
逆にいってしまったり
工事によって路線が変わってたり
降りる場所がわからなくて
早めに降りちゃったり
乗り越しちゃったり


いろんな可能性がある

これはもう原理原則といってもいいくらいの法則だけど
時間がないとき
急いでいるときこそ

そんなことあるの!?っていうことが起きたりするものだし




んで
早めにいくと
今度は逆にスムースに事が運んで
思ったより早くターミナルについて
そこで1時間待ちとか





こういう具合に
とにかく待ち時間がたくさんある



気分的にも乗りたかったバスや電車を逃してしまったり
遅れそうになってあせったりするよりは
余裕をもって先に到着してるほうがいいから
其れでいいと思ってるし

別に待ち時間が多いからイヤだっていう否定的な考えを持ってるわけじゃない


日本みたいに勝手がわかってて
情報もしっかりしてて
ほぼすべての交通機関が定刻どおりに運行されてて
東京の電車みたいに
さっき行ったばっかやん!ってくらいの頻度で電車がくるんなら
そんなことまったくする必要ないし
実際住んでたとき10分待ちですら
うわ、マジかよって思うくらいだったし




んで
俺が思うに旅と待ち時間っていうのは切っても切り離せない関係
もちろん待ち時間を待ち時間と感じさせないような時間の使い方をする人はたくさんいると思う
乗りたかったバスや電車をミスっても
まあいいかって受け止められる人や
夜行バスまでの時間でエネルギッシュに動き回れる人とか
夜のバスだったら夜まで飲んでりゃいいやっていう人もいるだろうし


まあ
でも俺にとっては旅においてこの待ち時間が占める割合は大きい

この長い待ち時間をどう捉えどう使うのか
どのようにコントロールし、マネジメントするのかが
旅の質を方向付けていくんじゃないか
そう思わせられてしまう


3人で旅してたときも
待ち時間っていうとやることないし
会話っていってもいっつも一緒にいるし
待ち時間って会話も盛り上がらない

本があるときはいいけど
もてる本なんて限られてるし
あっという間に全部読んじゃうくらい待ち時間が無限にある

音楽聴くのもいいけど
1時間も2時間も楽しいかって言うとそうでもない


とまあ
何かと手持ち無沙汰にもなりがち
むしろみんなこの待ち時間を何につかってるんだろうかと聞いてみたいくらい






でも
今はこの待ち時間をどう使うのかを考えたり
実際に待ち時間を有効に使えるのが楽しい





本質というからにはそれなりに意味があるんじゃないかっていうところだけど


待ち時間の時間の使い方こそ
その人らしさが出てくるんじゃないかって思う

万事即一生の考えだと
まあ全部が全部なんだけど


待ち時間の質が旅の質を決める
といったら言い過ぎかもしれないけど
待ち時間をどのように過ごすかは本当に面白いテーマだと思う



たとえば2時間待ち

ボーっとしてても同じ
うとうとしてても同じ
本を読んでても
漫画読んでても
音楽聴いてても

何をしても同じ2時間

それをどう使うか

時間=命

という考え方があるけれど
待ち時間にも実は命の使い方が現れるって考えると深い



実際に
観光だったらそこまで大差ない
同じところにいって
ガイドから同じ説明うけて
同じような角度で写真とって

もちろん知識や経験によって受けとるものは違うだろうし
写真だっていろいろな差があるだろうけど
やってることって同じ


でも
待ち時間の使い方って差が出てくると思う

何をするか自由度が高い

自由に自分の行動を選択できる中で何をしていくか


長旅に生じる大きなスキマ時間
1年というスパンで考えたとき
ここででき得ることは大きなことだろうし
1年で何もしなかった自分と何かをした自分では大きな差が生まれてしまう




俺はただ旅してればいいって思ってないし
旅をすることで自分を成長させたいって思ってる
それは
旅をしたからこそっていう成長と
旅をしながらでもっていう成長



待ち時間はそんな成長への貴重な投資時間


ただの待ち時間
でも同じ時間
それが自分の命
それをどう使うか
自分の自由



そんな大切な時間を大切に
日本だとそれが5分とか10分だから気づかなかったかもしれないけど
1時間とか2時間っていう大きな単位になって現れてくると
それを意識せずにはいられない
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Profile
    2009年3月に世界一周へ出発したはずが
    ワーホリしたり、語学学校で英語勉強したりしてる間に恋したり
    結局旅は中断。
    それ以降も
    不法就労したり、人体実験したりと
    しぶとく生き抜き
    2011年10月にようやく旅を再開。
    12月からは愛する彼女と2人旅に。

    人と関わるよりも、一人で妄想する方が好きで
    冒険心よりも、保守的思考が強く
    どちらかというと旅よりもインドアで待ったりという方が好きだけど
    それが自分の旅のスタンスでありスタイル

    どこに行って何を見たかよりも

    何を思い、どう動いたのか
    そしてその結果
    どんな言葉に出会えたか

    今は言葉に出会うために旅してます

I.G.・LANの日記
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